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善悪とは
宗教的な善悪は、神という存在を仮定して人が授かった“ 教え ”に従うか反するかであるが、科学的には人類が発明した概念であり、精神文明の肯定と否定で“ 理想 ”と“ 理想否定 ”である
理性(実践理性)や道徳法則との関連で考えられる。善悪は実践理性の対象であり、道徳法則によって規定されるものである
それだから実践理性の唯一の客観〔対象〕としては、善と悪という二つの対象があるだけである
そして善は欲求能力の必然的対象を意味し、また悪は嫌忌能力の必然的対象を意味する。
しかしこの善と悪とは、いずれも理性の原理に関してのことで
世界には本当は
悪や正義は存在しない
善悪と言うのは、人間が作り出した客観的なもので
例えば、ライオンがシマウマを捕まえる様に
人間が見たらライオンがシマウマを殺して悪を行っている様に見えるが
人間においての善悪は
善は、道義的に正しい事。または倫理に沿った行いや理想的目標。正義とは違い何かや誰かを裁くための概念ではなく、護り目指すべき理想としての概念。
悪は、古語では荒々しく猛々しい様を表し、道義を持たない事で、“ 動物的本能 ”からくる欲求を行動基準にする事。
その為、人間は本当は存在しない偽りの善悪で 存在意義 行動や精神を白と黒に区切り分け判断し裁いている そして生きている
もし、動物に人間の様な知能、思考があるなら人間を悪とみなすだろう
人間も自然を破壊して動物を殺している事を悪と自覚しているのだろう
自覚してない人間もいるけど
さらに昔 アメリカは酒を飲むことが禁止されていて
酒を飲むことが悪だと定められた時代があった
しかし、今ではアメリカや日本でも酒を飲んだでも悪ではなく、飲酒が当たり前になっている
もちろん、未成年の飲酒や飲酒運転は悪だけど
けど、今後の未来
自動運転が開発されて飲酒運転も悪ではなくなるのかもしれない
この様に善悪は時代によって変動する
言わば善悪は人の主観によって決まると言う事だ
そして そんな人間だから 人間であるから
僕は僕たちは善悪も全て意のままに行なっていかなければならない
生きていかなければならない