真黒日記

このブログはあなたの心の闇に共感する日記です

【依存→執着→中毒】

人は生活に社会に揉まれていきている

すると

何かに頼りたくなる

人は何かに頼らないと所属しないと生きていけない

会社やクラブ、学校の様に

そう言ったグループやコミニティー

集団的な生き物でもあり、ちっぽけな生き物でもある

それが依存となり、いずれ中毒になる

何かを皮切りに依存してく

人間はいろんなモノに依存する

例えば ギャンブル 酒 薬 タバコ 食 趣味と言った娯楽 仕事 後悔 プライド お金 恋 人間関係 記憶 宗教 世間体

まずギャンブルやそう言った娯楽から考察しよう

なぜそう言ったモノに依存するか

それはドーパミンと言う欲のホルモンが脳内で出るからだ

まず、欲とは

人間が欲しいと思う感情で、生物が進化の過程で会得したモノである

生存にとって有利に働くモノ

しかし、今の複雑な社会に無駄に自分の人生に大切なものまでも手放して欲しようとする

それは、ドーパミンが無駄に過剰に働くからだ

ギャンブルや娯楽やゲームはやった先に、すぐに報酬がまっている

パブロフの犬をご存知だろうか?

エサを上げるタイミングでベルを鳴らし

ベルがなったらエサがもらえると犬は思う

これを条件付きという

条件付きつまり、その習慣で依存性も変わる

報酬が定期的に与えられる、もしくはもらうために行動してるなら、例え貰えないとしても、ドーパミンが湧き報酬の為に行動し依存し続ける

そうやって酒やタバコやギャンブル、ゲームに人はのめり込んでいく

恋も買い物依存症もそうだ

他にも依存には様々な種類がある

仕事や後悔はどうか…

それも、頼らないと生きていけない人がいる

例えば、現実逃避や強迫観念によるもの

仕事が、唯一の取り柄だから

後悔が唯一の強い感情だから

…と

人間関係と言う友達、仕事仲間、恋人、家族に依存する人たちも寂しいからであり

その人間関係の枠組みにいると安心するからだ

僕も体験したが、仕事の長期休暇に入って、ずっと1人だったからか、性格も容姿もゴミクズな奴と絡む様になった

昔そいつにイジメられていたが改心したと連絡が来て寂しくてイジメっこと付き合う様になたが

時間や労力、金を取られ、ツイキャスで無駄に人間関係を広め傷つき命を経とうとした

SNSだってそうだ

執着するから、誹謗中傷などに心を痛める

結論的にいえば、誰かと一緒に居たいや触れ合いたいといった感情は孤独から来るものだ

ツイキャス配信で毎日配信する人もいれば、ちくいちXをチェックする人もいる

きっと僕から言わせれば、それは人それぞれの勝手だが、寂しさから、それらに依存してるんだと思う

プライドなんてものも、そう言った自分を曲げれない変えれないと言ったらバイアスからくるものだ

金も、それが快楽と等価交換でき

昔から、それがないとダメと

宗教的につくられた

宗教や神だってそうだ

昔から人は何かを依代にして頼らないと生きていけないから

宗教や神という存在を信じた

何が言いたいか

人は何かに頼らないと生きていけない生き物ということ

そして、その依存から中毒にかわり、習慣になり執着する

執着するとどうなるか

最後は崩れる

有害になる

何事もやりすぎややらなさすぎがダメになる様に

執着しすぎると精神も身体も壊れる

1つ個人的な例を挙げよう

僕はジュースという甘い飲み物に依存している

昔から甘党で、定期的に甘いものを摂らないと安心できない

そして、長期休みに入ってから、毎日の様にジュースやエナジードリンクを浴びる様に飲んだ

飲むとやる気がUPして動画編集も集中できる

仕事の合間にもジュースやエナジードリンクを飲んでいる

だが、とある時期

秋が終わりに差し掛かった時に、全身に蕁麻疹ができ、顔が真っ赤になった、驚いて調べたら、ある情報にたどり着いた

それは糖尿病の可能性があることだ

そして、病院にいき結果が出るまで1週間かかるそうだ

甘いものを極力摂らない様にした

それも、キツいはずで

何も集中できなかった

本当に辛かった

間食もできないので、実家暮らしのこともあり1週間は健康的な食事になり

普通の食事が最高に美味かった

結果、赤みと蕁麻疹は季節変わりによる寒暖差によるもので糖尿病ではなかった

この様に、、、

中毒や依存や執着を無理やり経とうとすると

人は苦痛に苛まれる

人の脳は変化を嫌う性質がある

それを専門用語でホメオスタシスと言う

人が進化の過程で会得した性質

例えば、狩猟時代にいつもの獲物を捕らえようとすれば、安心できるが

急にいつもと違う、獲物を取ろうとして行ったことないジャングルに足を踏み入れたら危険に苛まれる

いつもと違う行動を取ると安心できない

危険になったりする

だから、人は変化を嫌い習慣に執着する

過去の記憶に依存する奴だってそうだ

昔は、あいつはこうだったから、今もこうだと

昔はあいつはいじられキャラだったから、今もいじってやろう

昔は、あいつは強かったから、今も強いんだと

過去の記憶に依存して人と付き合う

正直、クソだ

人はなかなか変わらないかもしれないけど、変わる人だっている

大事なのは今だ!

昔があゝだったから、今も侮辱してやろうとか

人を舐め腐っている考えだ

100万を僕から不正利用した奴みたいに

それも、そう言う態度なら

いずれ損を被る

まあ、せいぜい、そう言う奴と付き合わなければいい話だけど…

世間体はどうか

世間体をすぐ気にする人がいる

いい大学に入らないとやブランド品を集める人

周りを気にする人

けど、なぜ気になってしまうのか

それは、怖いからだ

周囲が周りが怖いから気にして、つまらない人生を歩む

多分、毒親やイジメ、昔の風習の影響でその様な考えになってるんだと思う

恐怖や後悔、束縛、ゴシップ

そう言ったことに惑わされている

今一度考えて欲しい、何が正しいのか

どう言った人生を歩んだ方が有意義なのかと

僕の動画を投稿することだって、ネタを考えると言う娯楽が、動画を出せと言う強迫観念にかわり、執着に変わっている

だから、それが、動画を出さないといけないと言う苦痛に変わっている

そう、いずれ依存が中毒と言う毒になり

娯楽だったものが苦痛に変わっていく

ギャンブルだったら金がなくなり、食や薬、酒、タバコであれば健康が失われ、宗教や趣味であれば時間が失われる

この世は等価交換で成り立っている

何かを得るなら、何かを失うと

人は娯楽のために日々何かを失っている

そんな依存と言う罪が

つくづく皮肉でつまらない

人間と言う可哀想な生き物だ

自分も含めて

何かに依存しないと生きていけないなんて

【精神疾患が薬を飲まないとどうなるか】

これは僕に限った話かもしれないけど

僕は薬が切れると普通じゃいられなくなる

まず僕は強迫性障害でその他の精神疾患も持っていて

さまざまの薬を飲んでいる

精神を安定させる薬や睡眠薬など

それらを服用して4年は経つだろう

薬の量は合計7つとロナセンテープというテープ式の薬を2枚服用している

そして、前にも1週間薬を絶った経験がある

もう、どうでもいい精神で薬を飲まなかった

そうすると人間関係が崩れそうになった

今でも、薬を飲んで24時間ずっと続くというわけではなく

カフェインの摂取量で薬の効き目が短くなったりと多少の誤差や支障があり

薬が切れる時間帯がある

それも、徹夜で動画編集や他の予定があると

24時間以上おきっぱなしで薬が切れることがある

だからと言って薬を飲むと睡眠薬が入っているので、眠気に襲われて作業ができないので、飲めない

作業の方を優先しようとする僕も悪いが

仕事中に普通に薬を飲んで15時間ぐらいで切れる時もある 誤差で

すると、どうなるか

破壊衝動と強迫観念と憎悪と希死念慮にさいなまれる

憎悪はまず周りのエゴに反応する

前の動画にも、話したがエゴが嫌いで愛が好きなので、エゴイズムな周りの行為やこの世界でエゴという存在達に抽象的にだが憎めと言う強迫観念が湧く

そして、それは、たとえ自身のペットにも身内にもエゴであれば、湧く

そして、死にたいという希死念慮と破壊衝動が湧いてくる

まず、僕は会社で訳あって長期休暇に入ってから貪るように本を読んだ 本をまとめろと言う強迫観念に従うままに

で、1年で500冊まとめた

その結果、悟った

悟った結果

この世界は無意味で人生にも意味も理由もないことを知った

親のエゴで我々が生まれたから、理由がなく意味は自分で見つけるしかない、さらに、見つけれなかったら苦悩になる

そこから、反出生主義にだんだんと思考が巡るようになった

そう言う思想がさらに憎悪と言う強迫観念を強めたのかもしれない

強めたから、エゴである人間がいなくなれば平和になるんだと思うようになった

悪に芽生える可能性がある心がなくなれば

動物も人間もこの世から抹消されれば楽と言うものが待ってるんだと思った

僕も含めて消えればと

そこで、全てを壊せばと破壊衝動が湧いてくる

さらに徹夜で寝不足になって薬が切れるとさらに、それらは強化される

落ち着きもなくなり寝るか歩くかの2択でじっとしてられない

と。薬が切れると眠れなくなる 睡眠薬を摂取しないと

最近わかったことだけど、自分が落ち着きがないことをADHDかと思ってたけど、薬の副作用で眠気と注意力の低下でそうなってると薬の説明用紙をじっくり読んで知った

憎しみと言う強迫観念と破壊衝動

人生に意味も理由もないから、死んでも生きてもどっちでもいいから、死を選びたい希死念慮

外部にだけではなく内部の僕自身のエゴにだって反応する

憎いと

自分より優れている者や楽して生きてる人を見ると、劣等感やルサンチマン(嫉妬)が働き

そのエゴな感情すら憎く思う

唯一の味方が後悔だけだった

全てがエゴにしか見えず

もしも、エゴがなくても

何かを憎もうとしてエゴを探し始める

そう言う強迫観念

薬が切れると悪夢は必ず見るし、何も面白くなくなり、笑えなくなる

薬を飲まないだけでここまでの症状が現れるんだから

シラフのままじゃどうにもならない

この世から薬が消えたら…

たとえ、人類が滅亡して僕だけになったら

薬を処方してくれる人がいなくなる

薬を飲めなくなったら、普通の生活がままならない

もう、疲れた

薬を飲まないと

処方してくれる病院や先生がいないと

だから

さしづめ

もう、いいんだ

全てを黒く塗りつぶしたくなるように

浮かんで吐いて浮かんで吐いての

繰り返しの動画

この社会への誹謗中傷の動画

承認欲求の動画

せめて、強いだけだと薬に頼ってもいずれ崩れる

強いだけじゃ、ダメなんだ

だから、強い人よりしなやかな人間になりたいと思った

【希死念慮】

希死念慮 それは

生きたくないと考えたり、死ぬことを想像したりすることである

自殺念慮ともいい

自殺の準備や計画の策定が含まれる

希死念慮自殺念慮も含む語とする

希死念慮を持っているほとんどの人は自殺企図に至らないが、希死念慮は自殺のリスクファクターと考えられている

そして、日本には希死念慮を持つ人が多くいる

いつからだろう

僕は常に希死念慮と言う死にたいと言う呪いに苛まれている

僕は自殺念慮のように死ぬ準備や自分が死ぬシーンをなん度も頭の中でフラッシュしている

死ぬ準備では、なん度も言うようだが、100万をイジメっこに盗られ絶望した時に、さらについキャスでそいつらから誹謗中傷をされ命を断とうと包丁と葬式で流す曲のCDを購入して、自分の誕生日に自殺配信しようとした

何度、人生の中で絶望を味わったか

人生で絶望を味わった分だけ

人生何周目か決まるらしい

僕は、4回死の寸前の絶望を味わい、人生5周目だ

そんな、自殺念慮を味わった

涙の数だけ強くなれるよと言う歌詞があるが

まったく、その通りで、人は絶望を味わった分だけ強くなれる

己の痛みを知って、他人のことを思いやれるようになるし

絶望を乗り越えようと、人一倍頑張るからだ

だから、僕も強くなっている気がする

どん底から這い上がり過去の自分を救おうと

今の自分がいる

けど

強くなっただけ、希死念慮と強迫観念が強くなっている

さらに、常に薬を飲んでも、今では希死念慮に全身を浸っている

いつでも、死ぬ覚悟はできている

いつからだろう

憎しみと希死念慮が湧くようになったのは

希死念慮

自身の加害だけではなく

周りにまで加害を加えようとするようになった

希死念慮や憎しみが増幅し、強化され

反出生主義が加速し、自分だけではなく

全人類、全生物が抹消、滅亡すればいいのにと本気で思うようになった

人類が生物がエゴだから

それを見たくないから

それらを、感じたくないから

愛すら、どうでも良くなるくらいに

これが、いつまで続くんだろうって

こうなったのもいつからだろうって

きっと姿を変えても、名前を変えても

生まれ変わっても

考えも思いも変わらない

無くなっても、また、湧いてくる

そんな、希死念慮

生きてる限り、不幸も被り、不幸を撒き散らす

人類や生物が滅亡しない限り

幾度も湧き上がる

僕だけではない

みんな、どこかで、そんな考えがあるし

僕と同じ立場の考えの人だっていくらでもいると思う

長期休暇を経て、仕事に復帰したけど

正直、何も変わらなかった

休みでも、仕事でも

苦しみは苦しみで

退屈と苦痛を振り子のように行き来するだけだ

だから、どこにいっても、何をしても、満足できず、充実せず、楽しくない

ただでさえ、休んでいる時だって辛いのに

さらに働くとしたら苦痛すぎる

生きてるだけで辛い

だから

そう、僕は生きるのに向いてない

僕だけじゃない、あなたもだ

これを見ている人たちも、生きるのが辛いから、この動画やブログを観ている

そう、みんな、生きるのに向いてない

だから、苦しむんだ

苦痛を乗り越えて、楽しみに変えたり、成功を納める人たちは一握りの存在だと

生まれては産んで死んでいく

そんな自然淘汰のサイクルでしかなく

所詮、善を振り撒いたとしても

偽善だ

そんな強迫観念で承認欲求にしかならない

誰かが、犠牲にならないと、誰かを助けられない

そうやって、自分が犠牲になりたくないから

観て見ぬふりをする

みんな、自分は悪くないんだと思っていて

みんな、欲に塗れている

この世界に価値はあるのか?

この世の中に価値なんてあるのか?

この世は地獄だ

我々が地獄と言う存在だ

地獄に地獄を塗り重ねていく

生きるからには苦しむのは当然と思えと

どれも、白々しい

なん度も生きたい、死にたいを繰り返して

生きてるだけで偉いよという言葉があるけど

じゃあ、死んだ人たちは?

自殺した先駆者達は偉くないのか

けして、そうでもない

その人達だって、誰にも頼れず1人で抱え込んで、人並み以上に悩んで苦しんでその結果に至った

いっそう、全て終われば楽になるのに

僕の夢は大手漫画家になることだったが

それも、徐々に反出生主義になり変化していった

今では

唯一の夢が、全人類の消滅である

漫画家も人類滅亡もどちらも叶えられない夢

だから

もう、夢も明日もいらない

いつか、無くなってくんだから

残酷なことに

自分が何かを否定しても

自分を否定して自己嫌悪に陥っても

時は変わらずに進んでいく

だから、全てがどうでもよくて

死にたくてしょうがない

どれだけ、努力しても、足りなかった

時が経てば、過去は美化されるというが

そんなことはなかった

どれも、思い出しても残酷な記憶しか残っておらず辛いのは辛いまま

いくら過去を振り返っても憤りしか感じない

きっと、これからも僕の人生は彩られないんだと思う

なんかい、人生を何周しても

死なない限りは…

僕の心は真黒なんだから、黒なんだから

黒に何を混ぜても、黒は黒

白を混ぜない限りは

いつまで、いっても、きっと命に嫌われてるんだ

【動画を投稿したくなる強迫観念と自慰行為】

最近、動画を投稿する行為を再開してから、動画を作りたいと言う欲と一緒に、動画を作らないといけないと言う強迫観念がある

作れ作れと強迫観念が訴えてくる

それと、チャンネルをやり直したのか、あまり見てくれる人が少ない

だけど、だし続ける

自分が気持ちよくなるために

達成感もあるけど、ほとんど自己満足で終わっている

金を貰わず、自分の心を満たすために

ようは自慰行為

マスターベーションと同じだ

出しては、ネタを考え、また出す

そう言った感覚に満足までは行かないけど

充実感を覚えている

いつになってもそうだ

就職した時からか

チャンネルを作り、動画を出すようになったのは

なぜ、出すようになったのか

それは、不満が募っていたから

この世間体と言う社会に

不満があるから、ネタが浮かんでくる

多分、社会で働いている

いや、働かなくても

この社会で、生きている以上

ネタが無限に湧いてくるだろう

だから、投稿を止めることもないのだろう

今じゃ、いつ死んでもいいように

遺書の代わりのようになっている

もとは、といえば、漫画家になりたかった

それは、自分の考えたネタを世間に公表したいと言う欲から、そう言う夢ができた

だが、それも、もう難しい

漫画家になるなんて、一握りだから

だから、その代わりに不満という塊をネタとして動画を投稿するようになったのかもしれない

ようは、この世界への誹謗中傷

この社会のアンチ

認めるよ

俺は誹謗中傷する奴らと一緒だ

そうだ、アンチヒーロー

俺は、お前らを社会を否定したかった

だから、出すようになった

お前らの言ってることなんて知らねぇよって

今は違う

ただ投稿する

また、あいつらがきたらチャンネルを変え、投稿する

名前を変えても、チャンネルを変えても何度でも投稿する

もう、意味も理由もいらない

この行いに意味が生まれるのは

俺が死んで 何百年も経った後なのかもしれない

きっと俺は大きな、何かの歯車の1つにすぎないんだと思う

錆びつくまで、動画を投稿し続ける

それが、このチャンネルの俺の役割なんだ

そして

納得の積み重ねで結果が現れる

だろ?

だから、投稿し続ける

【毎日がエブリデイ】

毎日がエブリデイ

そんな、当たり前の言葉を聞いたことがないだろうか

一見聞くといい言葉のように聞こえるが

毎日が毎日 つまり同じ言葉を2回言っている

危険が危ない 頭痛が痛い の様に

しかし、僕はこのとんちんかんの言葉が面白いと思う

確かに、その文章に意味がないかもしれないが

主観的に意味は見出せる

毎日が毎日

つまり、毎日毎日同じことをして同じ様に生きて死んでいく様に

そんな、毎日毎日には意味が含まれているのかもしれない

勝手だが

毎日同じ様に息をして、同じ様に働いて、同じ様に趣味をして、同じように歳をとって

同じ様に孤独に死んでいく

たとえ家族を作ったとしても、死ぬ時は皆1人だという言葉がある通り

そうやって、皆は日々を繰り返しているのだろう

だが、言いたい 

僕は畳のシミにはなりたくないと

みんな会社勤めで一生独身で死んでいく人もいて

孤独に生きて畳のシミになる人もいる

独身が悪いというわけでなく、人間関係が築けず、1人孤独で死ぬことが悪いと言うことだ

つまり孤独死と言うのが、やるせないと言うこと

アホな犯罪者でも、周りに人が沢山いる奴もいる

まあ、将来子供を作ろうが子持ちの方が子どもがいない世帯より幸せは感じにくいけど

それなのに、寂しく散ってく人がいる

なんて世の中だ

不公平で不平等じゃないのか

孤独死すると言うことは、文字通り孤独が身体を蝕んで孤独に死ぬと言うことだ

それなりに人間関係築けている犯罪でも

やはり人間関係がある時点で孤独とは少し離れて孤独死することはない

だが、捕まったりしたら社会的な死だが

それは置いといて

孤独になると、人は1日にタバコを15本吸うのと同じ害がある

だから、人間関係は少しでもあった方がいい

こんな、忙しない社会でも

自殺する人もいるけれど

だけど、誰だって心の奥では辛く黒い何かがある

だから、自殺や孤独を選んでしまう人がいる

こんな世の中だからこそ

毎日毎日、辛いことじゃなく楽しいことをやりたい

そう思った

孤独や自死を選んでしまう前に

だから、鼓動を止めないように…

【だから、僕は反出生主義なんだ】

いつからだろうか

こういう思想に溶け込むようになったのは

この世から人間がいなくなれば良いのにと

そしたら、苦しみや悪が無くなるのにと

いつからだろうな

たしか、僕が精神疾患を患うようになったからなのかな

人間に接するのが面倒くさくなったのか

人間を恐れるようになったのか

憎悪で満ちるようになったのか

それも、もうどうでもいい

考えるのもめんどくさくなった

ただ

憎い

そんな感情が脳へ身体へ浸透してく

そんなことを考えても、憎悪を止めても何も変わらないのであろう

いつしか考えるようになった

この世は無意味で意味もない道を歩いているのだと

どんなに道を変えても変わらない

無意味な道だ

ニヒリストという言葉をご存知だろうか?

前にも動画で説明したが

ニヒリストとは、虚無主義といって人生に何の意味も理由もないという思想の人たちをいう

僕もその1人だ

人生にも、理にも何の意味もない

悟った結果がこれだ

始まりがあれば、いずれ終わりが来る

いくら子孫を残そうと、いつか世界は消滅する

だから、喜びも悲しみも世界からしたらちっぽけなことで一瞬にも見たない

要は、人生は一瞬の喜劇と悲劇の量産だ

ただ無意味な量産

いくら喜びを探しても楽を探しても

それすらも一瞬で意味なんて見出せない代物

だからと言って、何が楽しいんだろや何のために生きてるかと問われても

意味は自分で見出せ、探せとしか言いようがない

なぜなら、脳があり、身体があり、神経が通って思考できるからだ

ましては、無垢の何も考えれない人間じゃないから

しかし、理由は見つからない

意味は見つかるが理由は見つからない

なぜって、それは親が勝手に我々を産み落としたにすぎないからだ

好きで生まれたわけではない

だが、生まれたからには最終的に働くことになる

そのために義務教育や教育が存在する

より、国の経済を回し発展させるために

そういう人材に仕立て上げるために

だが、そう言った働くと言った行為の先には

娯楽というものに繋がっている

ミュージシャンやショップの店員、野球選手

その他色々な職種があるが

どれもこれも娯楽として求められているから

それらで働く

この動画を出しているのも見る人の娯楽の1つだ

ましてや、エアコンや車の部品を作る工場だって、移動手段として乗る車、ドライブで楽しむ人たち、季節の時々に温度を快適にしようとエアコンを使用する人たち

そう言った、人たちは娯楽のために好んで購入し人を使っている

働くツールも娯楽を営むツールも、所詮が、お金を稼ぎ、消費するツールでしかない

結局、学校でも会社でも建前でしかなく

会社の奴隷となり

会社で働いて稼いだお金はすぐになくなってしまう

何のために稼いだか、わからなくなり

しょうもない

働いても働かなくても一緒でつまらないものはつまらない

長期休暇ではっきり分かった

狭い世間体という世界でそれぞれ生きている

そう言った金を稼ぐというツールも

それすら、娯楽を嗜もうが求めようが、いずれそれも、消える

死んでいき子孫すらもいなくなっていく

そして、地球も宇宙も世界も終わっていく

全くもって、くだらない

滑稽だ

馬鹿げて、もう、どうでもいいぐらいだ

何のために、何を残して死んでいくのか

それすらも、腑に落ちずに死んでいく

結局は、何も残らないんだから

全てがしょうもない くだらなく滑稽だ 皮肉としかいいようがない

何も残らないのに、足掻いてどうする

いずれ朽ちる 朽ち果てる

そして、人間は負の感情で動いている

もう、人間に機嫌を取るのも

悪を見るのも疲れた

動物だって人間だってエゴに満ちている

いっそう、全てが終われば

気が楽なのに

いつ死んでも同じなのだから

みんな滅びれば

そんな希死念慮

これが危険で惨たらしく、邪悪な思想なのは

分かっている

分かっているのに

その考えが込み上げる

だから、ゲームも釣りも酒も、もうやめた

悟ったその日から

人生には理由もない

ただ、自然淘汰謳歌するばかりである

そう、意味などない

人生はコメディなのだから

 

【休日になると金がなくなる】

休日になると、お金がなくなる

至極当然の事だろう

人はやる事が無くなるとお金を使う…と同時に、人は快楽を求めるとお金を使う

僕も休職をして1年半たったが、仕事をしていたころより、休んでいる時の方がお金を支出というか、浪費している

なぜか

コンビニやスーパーによく行くからだ

仕事をしていた時も、もちろんお金は使っていた

それこそ、Amazonでよく注文していた

仕事中は仕事をしているので、お金を使うことはできないが、休み時間などはAmazonでよく買い物をしていた

唯一の楽しみがそれくらいしかないからだ

だから、Amazonやネットショッピングばかり利用していた

だが、金額は知れてる所詮は休みという隙間時間しかネットを活用していないから

しかし、四六時中、ネットショッピングを活用したら

減るのは時間と金だけだ

さらに長期休みだと、やることがなくなるので、唯一の楽しみが買い物と食になり、金ばかり使い、それすらもマンネリし快楽が悪循環になってしまう

仕事をしていて、たまの休みなら金を使うとしても知れている

なぜなら、仕事をしていれば、平日できなかったことが休みの日に集中する

すると、例えば、趣味などの

庭の手入れやゲーム、犬を飼っている人なら犬をその分触れ合う 人によってもやりたいことは様々で

その趣味が仕事日だとできない場合が多い

時間がないからだ

Amazon楽天など、仕事の休憩時間にお金使おうと思えば使えて、その分減っていく

しかし、限度があり、どのくらい使ったか把握できる

履歴などを見れば、自ずとわかるだろう

たが、僕が長期休暇をとって知った

休みであればあるほど、お金は減っていくと

まず、長い休みだと時間が有り余り、暇になる

すると、欲が芽生え

美味しいものが食べたくなる

仕事が終わった後のご飯は、適当なご飯でもメチャクチャ美味しくかんじる

だが、休みだとマンネリして、もっと美味しいものがたべたくなる

結果、外食や買い物が増える

これは僕に限った話かもしれない

中には、長い休みに食事に関するものではないものを頻繁に買ってしまって物で溢れる人もいるだろう

僕は半ミニマリストの部分があるから物ではなく、食に金を使ってしまう

それ以外でも、趣味にお金を使う場合がある

休みだと、時間があるので趣味をすることも増える

例えば釣りやギャンブルや風俗や銭湯など

僕は前にも言ったけど友達だと思ってたのがいた

昔、そいつにいじめられてて、長い休みに入ったら、そいつから連絡が来て、改心したような連絡で、また、遊ばないかと

バカな僕は信じて一生に釣りをするようになった

結果、イジメの延長で150万取られた

100万はキャッシュカードを不正利用され、50万はいろいろと奢らされた

今金がないから、出してくれないかって

その結果、休みの1年10かっ月で200万あったのが50万程度になった

趣味で釣りをするのもそうだけど、盗られましたのも、かなりお金が減った理由だ

だから、友達も趣味も選んだほうがいい

それとカード払いもやめたほうがいい

どのくらい使ったか確認を怠る場合がある

食事の買い物もそうだ

いくら現金だからって、頻繁スーパーや近くのコンビニに行って残高やどのくらい使ったか把握してないと、知らず知らずに使ってしまうから

友達も趣味も食事も娯楽も休日になると、そればかりに集中して、周りが見えなくなる

だから、金の使い方には気をつけたほうがいい

家計簿やメモに残したり、そうやって計算しないと最悪破綻になりかねない

そう思うと仕事して金を稼いでいる時が一番、充実してると思った