幸せ
貴方は幸せなのだろうか
そもそも幸せとは何か
どんな定義なのだろうか
調べてわかった事は
幸福とは
心が満ち足りていること
人間は古来、幸福になるための方法に深い関心を寄せてきた
幸福についての考察や、幸福であるためにはどのような生き方をすべきであるか、その方法論を提示した文章・書物は「幸福論」(eudaemonics)と呼ばれている
幸福を倫理の最高目的と考え、行為の基準を幸福におく説を幸福主義という。古典的にはアリストテレスが典型であり、近代哲学では功利主義がその典型である
と出てきた
心が満ちていることというのは分かりやすい
けど、僕たちは自分たちをなかなか幸せと思わない
人間は幸福を得ても、またさらに幸福を求める欲深い生き物だから
現代社会の人々は
時間に追われ会社や学校に縛られて生きている
ストレスにまみれ、ちょっとした幸せでも幸せと思わなくなっている
ご飯が食べれることが、当たり前に思い
幸せと思わない
アフリカの貧困の子どもたちにとっては
僕たちのご飯をその子らが食べたら
凄く幸せに思うだろう
とすると
心が満ちておらず
普段の幸せを幸せと思えないのが不幸せではないのか
この様に
誰かが一番欲しいものはいつも他人が持っていて、しかもそれを持っている当人にとっては大して価値がなかったりする。
一番欲しいものと持っているものが一致しているというのはすごく奇跡的なことだから
だから、僕は人間を皮肉だと思うし
だから、人は
楽しくなければ努力なんてできないって言いがあるけれども
何もかもが思い通りの甘やかされ人生じゃあ、自分が生きているのか、それとも夢を見ているだけなのか、わけがわからなくなってしまう
どんな恵まれた人生を送ろうとも
大金持ちの子供に生まれようとも
才気溢れる頭脳や肉体を持っていたとしても
それでも人間がみな等しく
何らかの不満や不安を抱えながらぐちぐち生きるのは
単に欲深いからじゃあなくて
そういう不満や不安がないと、生きてる実感がないからなのかもしれない
そういう事で生き甲斐を求める
人生に適度な難度を求めてしまう
それが人が人たらしめるものだろう
結局、僕は僕なりの上を目指すし難度があるなら難度に挑戦する
嫌な環境であれば不幸だと思うし
美味しいご飯を食べれば幸せと思う
人間は欲深く複雑で不純で単純だ
そう言う向上心が
ここまで進化してきた理由なのかもしれないし
これからも進化していく理由になる
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