そもそも運を存在呼ばわりするのはおかしいのだろう
まず、運とは
その人の意思や努力ではどうしようもない巡り合わせを指す。
とある
結論から言って
運など存在しないと言っていい
ハッキリ言って運は
状況と状況の組み合わせ
人間はそれを目に見えない運と言う運命というスピルチュアルなものを
自分の上手くいっていない状態の言い訳として
そして自分の愚かさを正当化する為に運と言うものが存在すると決めつけ作り出した
だから、本当は運命も運も存在しない
自らの行動や状態状況がそうしたものだ
中には自分の嫌な状態を言い訳する為にこんな考えもある
人生は全て運で決まっていると
言う仮説である
僕から言せると愚かである
「私たちの体はDNAを元に作られている。
そして、私たちが、喜怒哀楽、愛情、憎しみ、苦しみ、幸せ、不幸を感じているこの脳みそも、設計図であるDNAの分子構造によって作られている。
そして、自分が生まれる前に与えられた分子構造を変えることはできず、私が今のこのような私になったのは、私の努力や意思を超越した「運」以外の何物でもない」
「運が悪かった者にとって、この世が地獄だという事なんだ」
と。
でも、生まれた常識が悪くても成功した人は
歴史上の人物や今の時代でいくらでもいる
いくら自身の能力が低くても、自分で極めればいいし
基本的人権の尊重があるので選択も自由だ
天皇や歌舞伎の家系ではそうであっても自分の気持ちを尊重すれば状況は変わる可能性がある
いつまでも親や家系の言いなりになるのも
自分への冒涜で
自分の人生を犠牲にしてまでやる必要はない
運命や運などと言って自分を縛り付ける必要もない
けど、僕は選択を間違えてこの社畜になったけど
今の状況が悪くても未来はどうなるか分からない
運では無く自分の行動次第と言う事になる
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